孫の出産から早2か月、社会の仕組みを考える

バアバの子育て
バアアの子育て

あの感動から早2か月、New babyのみいちゃん(仮称)は、発育が良すぎて、軽く5キロを突破、母親や抱っこする人にとっては、重すぎて大変なのですが、すくすくと育ってくれているという事は何よりの喜び、忙しいけれど幸せな日々を過ごせています。

産休中のパパは本当によく頑張ってくれましたが、1か月半後復帰、休み中たまった仕事を片付けるのも大変そうです。 ママはほとんど体の状態も戻り、痛みも軽くなり、昼間いなくなった夫の分も忙しくなり、体調を細かく気にしているどころではなくなってきた感じです。上の子とベビーの二人の子育て・家事も増えていく育休ママという主婦業が、仕事は休みという言葉の意味からは想像できない位、楽ではないことは経験のある方だったら理解できますよね。

私自身もそうでしたが、決まった仕事をして、しっかりお金もらえるほうがよっぽど楽で自由もある。皆そう思った時期があったことでしょう。なぜ子供を産まないか? 産めないのか? 少子化が進むのか?理解できるところの一つです。 

だけれど、結婚して子供を産むことは特別なことではないはずなのです。人間の営みのごく自然なこと。大変だけれど、愛の結晶として、赤ん坊は生まれ、最初はオギャーオギャーと泣いて、オッパイ・おむつと大変なだけですが、だんだん表情もかわいくなって、苦労も苦にならない位、幸せな瞬間をプレゼントしてくれるのです。「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」その言葉通り、どんな苦労も乗り越えることが出来る大きな喜びがある証でもあるのです。わが子は本当にかわいいもので、また、夫なり母親なり、ずっとでなくても一緒にいてくれる手伝いというか、おせっかいさん・協力することを喜んでくれる人がいれば、もっとハッピー!人の手は本当に助かるものです、それにより人と人との絆も深まり、もっと楽しく幸せになるものなのだと思うのです。 昔はそんな感じでした。現在は、おばあちゃんは遠くに住み、子育てには関われない、関わらない。それが普通の時代です。近所の人など知らない、全くの他人で付き合いもない時代です。それが悪いわけではありません。(いろんな人間関係はそれはそれで面倒でもあり、危険な要素もあり大変だからです。保育園にはプロもいますし、それなりの環境も整い、友達もいます。安全です。でも良い保育園に行くのが大変で、そこでの人間関係や相性の問題もあります。

ひと昔前までは、(今も田舎ではそのようなところもあるかもですが、)大家族で子育てをやっていました。家族福祉という言葉があるように、いいとは言いませんが、それはそれで合理的というか進歩的なところもあったと思えるのです。(私バアバまる子が経験済です)

昔の家族主義を称賛するわけではないけれど、ある面、布おむつで文明も発展せず、大変だった時代は、人の手が今よりもっと必要だったのだと思うのです。それはそれで人類の知恵でもあり、必然的だったのかな?と思えるところもあるのです。

バアバまる子は、昭和・平成・令和の時代の変化の中で、子育て・育児・介護の経験をしてきたのです、そして自分自身の経験をもとに、社会の問題を考えております。子供は未来の宝・一人で抱え込むのは無理ですし、間違えだと思います。田舎の子育て、都会での子育て、時代によってもその在り方は変わります。正解は1つではありません。

バアバまる子のブログは非常識なことを書いているかもしれません。でも、どんなに文明が進み、AIの時代・ロボットの時代が来ようとも、子育て・そして介護の様々な課題は人間が関わらないと解決できない、簡単そうで難しく、理論的に整理できない問題と思うのです。

一つだけ、国会でも少子高齢化の問題に関する議論が進められていますが、正社員でなく、パートの仕事しながら子育て・介護をしてきた私自身の立場からの提案(意見)です。

単純に、子育て世代にいくらいくら給付金を支給する、出産費用を全額にするとかも、もちろんありですが、子育てには時間がかかります。損得の問題ではないのですが、子育てのみで高齢になった主婦が(会社の正社員、厚生年金など)の支給額が少ない現状があるので、(子育てのために正社員を辞めざるを得なかった)子供を立派に育てた高齢者に、少ない年金を多少でも上乗せするとか、また、自宅で親の介護をして離職してしまった人に、自宅介護〇〇手当を支給するとか? 主婦でも社会的貢献度が高いと認められる陰で支えてきた人が報いられるような、手厚い仕組み(年金・税金・社会保障など全般で)があってもよいのでは?と思うのです