鶴は千年・カメは万年・人間は百年(病院→施設・施設→病院)
父が脳梗塞で倒れて、3年。倒れる直前まで、普通に生活して90歳近くまで全くぼけることもなく、なんでもできた。救急病院で緊急カテーテルの手術の後、リハビリテーション病院から(6か月)介護付き高齢者施設(老健)へ。そしてその後も、何度か病院でお世話になることがあり、治療が終わりその後帰る場所は元の介護、リハビリのできる介護付き高齢者施設へ。 突然要介護5になり、とても自宅での生活は無理とのことで、施設と救急搬送される病院を行き来して、今年4月特別養護老人ホームへ、ありがたいことに移動することが出来ました。 意識がなくなり、普通に生活できなくなって(健康寿命)から3年たちました。
体力的には、かなり痩せて、弱ってしまっている感じもしますが、現在、4月に移動した特別養護老人ホームは、病院とは違う・人間としての普通の生活を目指す姿勢がよろしいのか、施設も新しく、設備も充実していて、室内明るく、そして面会に行きやすくなったこともあり、父の脳の働きは、以前より活性化し、少し目に力が出てきているように思うことも時々あります。
病院は病気をなおすところ、命を救うところ、母の時もそうでしたが、介護施設のように、快適に過ごすというより、本人が延命できるようにするところ。 介護という面では介護施設の方がプロ、その人その人で求めるサービスも違うという事になります。
母の時は、「食べる」という行為、特に体力の弱った高齢者にとって、食欲は病院食ではなかなか食べる気持ちになれないことも多く、大変でした。 施設に戻ってからは、お仲間も温かく迎えてくださり、施設の方々が楽しい雰囲気の中で食べられそうなものを食べやすく、食欲に合ったものをご提供くださることで、母は少しずつ食べられるようになり、その時間苦痛ではなくなり一時元気を取り戻し笑顔になることが出来ました。
かなり、体力が弱っていたので、長くは続きませんでしたが、ほんの少しの間でも、皆さんと楽しく食事が出来た時間があったこと、幸せだったと思いますし、施設の皆様の温かいご配慮に心より感謝しております。本人もうれしかったことでしょう。
父の場合は、胃ろう造設になって2年半以上、食欲どうこうではないのですが、ひげそりや、全介助が必要な状態の入浴など、病院に期待するのは無理のことも、施設では親切に対応してくださいます。 病院はあくまで、治療の場、施設は人間らしく生活する場ととらえ、どうするべきか、何を望むかによって適切な居場所を判断するべきだと思うのです。
リスクの伴うことは病院ではやらないので、安全かもしれませんが、例えば、もう時間が限られている、長く生きるより、楽しく生活できること、人生の最期を苦しまないで人間らしい普通の生活を求めるのであれば、万が一のことを想定しても、覚悟を決めて施設の方にお願いした方がよろしいこともあると思います。
また、病院では点滴などを外しそうな場合など、拘束する行為を身内が許諾するなどの許可の書面を求められたりもします。
行き来する場合・手続きなどは、いろいろありますし、施設間、又病院と施設間との連絡等何かと申し送り事項なども沢山ありますが、(どちらもすごくきちんとやってくださいます)移動のタイミングなど、その人の容態・求められる決済や手続きによっては家族の都合・そしてそれぞれ施設の役割・適応の有無によって、詳細は決まってくると思います。
何より一番大事なのは、その時その時によって、本人がどこにいることが幸せなのかという事、状況が変化するたびに考え、本人どうしてほしいのか考えながら、判断することだと思います。 できることなら元気なうちに、高齢者ご本人と、どのような状況になったらどうしてほしいのか、話しておくことが出来れば、よろしいかと思います。(元気なうちは実際問題として、なかなか難しい事なのかもしれませんが、?)
