少子高齢化を考える・子供を持つことの喜びと子育ての楽しさを伝えること

バアバの子育て

無事に第2子誕生、苦しみの後の最大の喜び

「もうすぐ生まれる」のブログを書き上げ、公開したつもりだったが、もたもた再チェックとかしている間に、5月10日朝、いきなり「生まれた」の吉報が来てしまいました。

私に娘婿から、ライン電話が来たのが、朝8時50分。

娘は夜中2時に一人でタクシーに乗り病院へ。(近くの病院で正解!)旦那(パパ)は、上の子を一人にするわけにはいかないので、自宅で待機とのこと。そして、病院から朝8時ごろ、無事出産の知らせを受け取り連絡してくれた。

最初の時は(2020年9月)妊婦の母親である私バアバまる子も、病院付き添いとして、一緒に行ったが、なかなか生まれなくて、コロナの厳しい時期でもあり一時帰宅。本格的な陣痛が始まるまで12時間以上、そしてその後さらに時間がかかったが、今回は電話のみで「無事に生まれました」と。だからホントにビックリ!「えええ?もう生まれちゃったの?」の感じでした。

前日、娘より、「まだ大丈夫みたい、来てもらってごめん。予定日の13日頃かな?」とのことだったので、「お腹にいる時間が予定日前なら長い方が楽に出産できると思うよ。」と言い残し安心して帰宅、爆睡。 ラインでの連絡に一番遅い返信の私まるこバアバだったとのこと。何はともあれ、良かった!よかった! 三人目の孫のバアバになった。

今回は「果報は寝て待て」の言葉通りとなってしまった。

お産そのものは、1回目の時と比べれば、時間も早く、「まあまあ、安産かな?」と。 ただし、妊婦本人にしてみれば、もう二度と経験したくない苦痛であり、赤ん坊が3600gと予想より大きく、会陰切開せず出てきてしまったため、傷口も大きく、「気が遠くなるほど痛い、つらい!」でしばらくは大変だった感じであった。

その後、「おめでとう。お疲れ様」の返信がたくさん来て、興奮気味でもあり、本人も痛みと興奮状態でもあり、なかなか眠りたくても眠れない。休めるどころではない。多くの妊婦が同じ経験をするのではないかと思う?

その後、疲れているとはいえ、傷口の出血と痛み、病室も希望した個室が満室で4人部屋へ。特に陣痛始まりが夜中だったこともあり、時差もあるわけでゆっくり休みたくても昼間で落ち着かない。

5月10日(土)面会時間の15時に、私バアバは産院に着き、娘と対面できた。 赤ちゃんは一時的に保育器に入り、良く見えないところでまだ会えなかった。 赤ん坊は出産の瞬間後の画像が送られてきていたので、元気なことはわかっていた。まずは気になるのは、ママの方、面会が可能とのことで行ってみると、まだまだ辛そうだったが、フーフー言いながら、やっとトイレにも行くことが出来て、その後、荷物の整理を手伝う。そして、自販機からお水と麦茶・ポカリを買ってきた。

「おめでとう!」当たり前のこととは言え、待ち望んでいた瞬間だったので、とにかくホっとして、うれしい時間だった。 病気とは違うのだ。そして、「おなかがすいた。甘いものが食べたい。果物が食べたい、」などなど。私もそうだったかな?と35年前を思いだす。1時間位して、お姉ちゃんになったナミちゃんとパパがやってきた。

「嬉しいね。赤ちゃん生まれたね。」「うん、ママがんばったね。」この日は、ちょうどパパ(娘婿)の妹さんが、朝から子供二人連れて、自宅に来てくれることになっていたので、ママが入院していても、寂しくない。ちょうどよかった。 約1時間位病院にいて、病院のラウンジで話が出来た。

 

5月11日(日)、 パパの実家のご両親と、妊婦の姉(バアバのもう一人の娘)が病院へ。大入り満員で、面会はあまり多くならないようにとのことだったので、この日は遠慮することにした。

赤ん坊【ミナちゃん,仮称】は、赤ちゃん用の透明ベットで、スヤスヤ。ガラス窓から見える。お姉ちゃんになったナミちゃんは、うれしくて見に行くのが楽しみでしかたがないようだった。

ママもだいぶ元気になってきた様子。姉が果物や、スイーツを差し入れてくれた。

5月12日(月)、バアバは再び病院へ。 やっと個室に移れたとのこと。広々していて、気を使わないのがいい。赤ちゃんにも部屋の中で会えた。

お姉ちゃんになった上の子(ナミちゃん)が、ママと一緒に食事したいとのこと。 保育園終わって、17時半から18時、面会時間でもあり部屋も個室なので、お弁当を買っていき、ママの夕食時に、病院の食事時間に一緒に食べる。

前日、自宅にママの兄(バアバ長男)が持ってきたお祝いを渡したりして、皆で喜びを分かち合った。

赤ちゃんラックに乗ってお部屋へやってきた新メンバーのミナちゃん、静かに眠っている。母子同室はありがたい。大変な時もあると思うが、夜中どうにもならない場合は、預かってくれるとの事。

個室に移ってよかったことは、やはり、設備が違う。(電車の音が気にならない、多分防音設備あり、ソファーがあり、ラウンジに行く必要がない。収納場所も広く、大きなテレビもある。)多少高くても、そう何度とあることではないし、「移れてよかった!」と皆で楽しい時間を過ごせた事を喜んだ。

5月13日(火)は、バアバは特に病院には行かず。娘の様子としては、オッパイがよくでて、赤ちゃんも飲むのが上手、ただし乳首が痛い。夜中に胸が張って、寝れない。上の子の時はなかなか、母乳がでなかったが、今度はうまくいきそうとのこと。ただし、この赤ん坊、歯が生えているわけでもないのに、痛い。飲み方も立派だが、夜中足りないかもなので、少し帆乳瓶のミルクを足すとのこと。

5月14日(水)、退院。夕方、バアバは病院ではなく娘の自宅へ。5日目で退院は早い気もするが、上の子の事を考えると、パパやママにとっても、ありがたいし、良かったのかな?と思う。

母乳が出ると時間がかかる。また、ゆっくりと飲ませていると、赤ちゃんは静かに寝るのだが、ママはホントに動きが取れず、いろんな事が全く出来なくなる。そして、退院後は沐浴の仕事も始まる

核家族で、出産が当たり前の現在、家事もあり、新生児にかかわる特別の仕事は予想以上に多く、時間がかかる。特に上の子もいる場合、ホントにパパに頑張ってもらわなければ、産後は、絶対乗り切れないと思う。

バアバまる子は、核家族での出産・子育ての経験と、夫の実家田舎での子育て経験(この時、出産は実家への里帰り出産だったが)のどちらもある。とにかく、出産・子育ては、夫婦二人だけでは大変で無理といっていい。 上の子がいる場合は特に大変! そして、母親一人では物理的にできないのである。でもやらなければいけない。嫁姑問題があるにしろ、昔の人は賢かったと思えるところも多々ある。(それは私自身が経験したから、優しい姑さんだったからかもしれないし、今ほど家電もなく、布おむつの時代、家事も原始的でどうにもならなかったからかもしれないのだが)家族の人数が多いほど、子育ては無理がない。その人の環境や協力体制にもよるが、人が多い方が負担が少なくうまくいく。楽しい仕事となる。余裕が生まれる。どうしても核家族の場合は、大変な時期だけでも、ホームヘルパー・パパの産休などで協力体制を整えていくことが必要で、その辺を解決しない限り、少子化に歯止めをかけることは難しいと思う。

だからと言って、家族主義がいいという事ではない。(日本は介護でも、子育てでも、家族福祉に頼りすぎ?と、30年前にも、男女参画社会の実現に向けての冊子作りボランティアの時、その問題点を考えたことがあった。)

孫が一人増えて思う事。日本の少子化に向けても対策はいろいろと進化はしているものの、まだまだ課題も多い。それでも少しづつ、男女の役割分担の常識の変化・社会全体の協力体制を作ること、本当の意味での男女平等に向けての社会の中での意識改革も進みつつあると思う。 今後ますます生みやすく・育てやすい日本になることを期待したいし、「子供を持つことの喜びと子育ては大変だけれど楽しく幸せなことなのよ。」という事を、私たち経験者が伝えていける社会であることが大切なのではないかと思うのです。