認知症の母との思い出エピソード

バアバの介護・終活

「認知症母との思い出(厳選エピソード)」

認知症は年を取れば、誰でも多少の症状が出てくるもので、50・60代になれば若いころとは違い、だれでも多少の物忘れや記憶力の低下などあるわけで、初期はそれほど大変な病気ではないと思うのですが、症状が進んでいくと、大事なこと(たとえば火の消し忘れなど)や危険が伴う事など、また、周りの人の生活を著しくかき乱したり、迷惑をかけたりするようなレベルになってしまうと、日常生活に支障が出てきてしまうこともあるので、早めにひどくならないうちに、検査を受けて、手を打つことが必要です。(今は進行を抑える薬などもあるとのこと)

昨年亡くなった母と私まる子は、約10年一緒に生活しました(施設に約3年半、自宅介護も週半分位実家に泊まり込みでした)が、一緒に過ごした日々を思い起こし、人が少しづつ、ぼけていくのは、ある面ありがたいというか自然であり、死への恐怖を和らげるものでもあり、認知症の程度によっては、笑えたり、楽しかったり、今となっては懐かしい思い出もあります。

認知症そのものについては、医者や専門家が詳しく述べた冊子や各市町村の地域支援センターなどが出しているものがたくさんあるので、私まる子は母との生活の中で、特に忘れられないエピソードを具体的に上げてみようかと思います。

  1. 夜中にお腹すいて眠れないの。ご飯作って!

母はもともと痩せていて、一度にあまりたくさんの食料を口にすることが出来ず、(特に晩年は)食事の量も少なく、必要な栄養分を取るのが大変でした。それなのに一度に食べられない分、すぐお腹がすいて、おやつの時間を多くとることが普通でした。夜ご飯も食べたのに、夜中におなかがすいて、「おなかかすいたの。何か食べたい」と私の部屋のドアをたたいて起こされたことがありました。トイレに起きた後に目が覚めてしまったのでしょう。いつもは、「今夜中だから、ちょっと勘弁して。」と、大好きなキャラメルを一つ食べさせて。で治まるのですが、あまりしつこいので、「これ食べたら寝るのよ。」と眠い目をこすりながら、お粥と梅干を用意しました。(ほんの少量です。) すると、「今何時?」「夜中の3時、こんな時間に食べる人いないよね。」というと、「そうだね。バカだね。やっぱりいらないわ。寝る」と

  1. その2.パパがいない
  • 父は母より、頭もしっかりしていて、90とはいえ、高齢者住宅にいたときは、母の車椅子押して食堂に連れて行ったり、母がトイレに行く時は、夜中も時々起きてくれていたこともありました。そのしっかりものの父が突然脳梗塞で倒れ、救急搬送・緊急手術・長期入院となった後、夜中に目が覚めた母、足も不自由なはずなのに、杖ついてしっかり私の部屋まで来て、ドンドンとドアたたき大騒ぎ。「パパがいない。どうして?」と。 昼間、父が救急車で運ばれる一部始終を見ているはずなのですが。それなのに、「どうして、どうして!」と繰り返し、「だからあ、・・・・・」と説明すると、「どうして教えてくれなかったの?」と。その現場を見ているはずなのに、理解するまで大変! また一度寝て、起きた後は、その日に起きた事自体を忘れてしまうのでしょうか。 正しく現実を理解するまでにしばらく時間がかかりました。

3・お芋はね、新聞紙で包むからおいしいの

私まる子は、この話をする時の母が大好きでした。戦時中おなかがすいていても満足においしいごはんが食べられなかった。玄米や固いごはん、豆など母はおなかが弱かったせいもあり、食べられなかったとのこと。「お芋がおいしかったの。サツマイモ、やわらかくてあったかくて、大好きだった。」そして、必ず、「不思議なの。新聞紙で巻いて食べるとホントおいしいの。普通の紙ではなくて、新聞紙が一番おいしいの。」何かあると、何回も何回もこの話を繰り返して嬉しそうに話していました。

4・スリッパかえして。お風呂の温度計は? 真珠のネックレスがない

お年寄りを世話していて、最初に「認知症?おかしい?」と気が付くのがこの辺ですよね。身近にいる人が一番犯人にされて、大変な思いをします。本人の癖を理解し、しまいそうなところ、置きそうなところを考え、もの探しの達人になります。

それも、特別高価なものではなくて日常的に使うものが見つからない時、必死にさがすことが多かった感じです。本人は人が変わったかのように、真剣に怒りまくるので。

5.トイレが近い。今行ったばかりでしょ!

 母は心配性というか、緊張すると、すぐ「トイレに行きたい」が始まりました。たいして出ないのに、すぐ行きたい気持ちになるのです。病院の待ち時間など10分おきでした。何か気がまぎれることをしていれば大丈夫なのに、不思議でした。 病院の待合室では、トイレが使われいたりすることもり、大変! 他の人たちも気を使ってくださると、本人「すみません。認知症なので、、」と自分でもおかしいことを理解していたのでしょうね。

6・痛いのはどこ?

 認知症グループホームで転び、その後、病院に連れて行った時、「痛い・痛い」と言っている場所の特定が本人も難しかったのか? 初回レントゲンの結果、骨折なし、でした。しばらくして、「まだ痛い、痛い」が続くので、もう一度検査・診察の為、通院。母が痛がる場所と違うところで骨折が判明、即入院手術ということがありました。個人差あり、人によりけりかもしれませんが、神経が麻痺している可能性もあるので、痛がる時は、しっかり見てもらい、より丁寧なコミュニケーションが必要かもしれません。

★まだまだありますが、特に忘れられない事のみ、多少読んでくださる皆様の参考になりそうな事のみ選びました。

その時はイライラし、優しく接するどころか、怒りの気持ちをぶっつけたこともありました。しかし、母はもともとチャーミングというか堅物の父にはちょうどいい感じの奥様で、とぼけた感じで憎めない人でした。 不思議なことに、仏様になった母との思い出は、辛かったことよりもユーモア交えて話せるレベルの事が多くなった感じです。